本日「徹子の部屋」に歌舞伎の清元延寿太夫さん、清元昂洋さん、尾上右近さんが出演されていました。
歌舞伎に興味のない方は、ほとんど知らない名前ですね。失礼ながら、私も3人については全く知識がありませんでした。
そこで3人についてネットで検索してみると、清元昂洋さんは、余命3ヶ月の病気を克服して歌舞伎の舞台へ戻ってきたことが判りました。
そこで清元昂洋さんについて調べてみました。
清元昂洋さんプロフィール
名前 :清元 昂洋(きよもと たかひろ)
本名 :岡村昂洋(おかむら たかひろ)
生年月日:不明 30代前半??
出身地 :東京都
生年月日については、確かな情報は見当たりませんでした。
平成 7年:師匠清元美治郎に入門して三味線方の修行を始める。
平成10年:延寿会(歌舞伎座)にて三味線方として初舞台。
平成13年:2月清元昂洋を名のり社中となる。
以降歌舞伎の公演を中心に出演修行中
平成30年:2月26日、初代清元斎寿を襲名予定
「徹子の部屋」に一緒に出演していた清元延寿太夫さんは父親で、清元宗家七代目の歌舞伎役者で、同じく歌舞伎役者の尾上右近さんは弟です。
[左から清元昂洋さん、清元延寿太夫さん(父)、尾上右近さん(弟)]
歌舞伎役者でなく、三味線方?
名門の歌舞伎一家に生まれた昂洋さん、生まれながらにして歌舞伎の道に進むのは宿命だったハズ。歌舞伎役者の子供は歌舞伎役者になると思うのですが、昂洋さんは三味線の伴奏者である三味線方になりました。
もともと昂洋さんの声は低いので、高音を発しなければならない歌舞伎役者(清元節)には向いてなく子供の頃は、よく稽古中に怒られて泣いていたそうです。そんな時期に三味線の師匠である清元美治郎さんに手ほどきを受けたのでしょう。そして三味線の演奏の素晴らしさに魅了され、三味線の道に進まれます。
歌舞伎役者から三味線方に方向修正をした、その決断は素晴らしいと思います。もちろん本人の意思だけではなく、大人の判断と助言があったと思います。昂洋さんについては、本人の特性や能力を見極め、早い時期に方向転換したのは適切だったと私は思います。名門歌舞伎一家の長男が三味線方に転向するとは、並大抵のことじゃないですよね。
清元昂洋さんの病名
2009年、昂洋さんの下腹部に大きな悪性肉腫が見つかりました。診断された病名は、「粘液性脂肪肉腫」という約10万人に1人の割合で発症すると言われている病気です。
「粘液性脂肪肉腫」とは、脂肪肉腫という悪性腫瘍の型の一つで、脂肪を含んだ細胞が悪性化したと考えられている悪性腫瘍です。
体のあらゆる部分に発生しますが、多いのはふとももと骨盤の内部(後腹膜腔(こうふくまくくう))で、30〜60歳くらいの世代に多いといわれています。
昂洋さんの腫瘍は19センチの大きさで、手術前には医師から片足の切断のリスクがあることを言われたそうです。片足を失い正座が出来くなることは、三味線演奏者としては、受け入れがたく涙を流したそうです。
手術は片足を失うことなく終わり、その後はリハビリと入退院を繰り返し、抗がん剤治療に専念する日々が続きました。2014年にようやく抗がん剤治療を終えています。当初は本人には、ハッキリ伝えられなかったそうですが、余命3ヶ月だったそうです。
余命3ヶ月から生還!本当にすごいですね。普通なら本人(告知されていれば)や家族は、どことなく最悪の結末を覚悟をするでしょうが、昂洋さん本人の「絶対に治してやる、もう1度舞台に戻り三味線を弾くんだ!」という強い想いと、それを支え続ける家族の存在があったからこそ、元気になられたのではないでしょうか。
もちろん医療の進歩や病院の先生方の力もあったのでしょうが、一番の要因は本人の病気に対して向き合う姿勢が大切なのかと感じます。昔から「病は気から」という言葉のとおりに。
昂洋さんには、これからも元気に三味線方として歌舞伎界での活躍を期待しています。
まとめ
清元昂洋は清元宗家七代目清元延寿太夫さんの長男とし生まれました。
歌舞伎役者に必要な高音が出にくいこともあり、歌舞伎役者から三味線方に転向しました。
2009年に粘液性脂肪肉腫という悪性腫瘍を患い、余命3ヶ月と宣告されましたが、抗がん剤治療により元気になり三味線方として舞台で活躍中です。
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